ミュージアム 野球

松井秀喜の人間性に迫る ベースボールミュージアムの感動展示

スポーツ愛する皆さん、こんにちは。
はやすぽです。

これまで世界各地で様々なスポーツの博物館や展示を見てきました。日本はスポーツの歴史に比べて、スポーツミュージアムが非常に少なくて、寂しいと思っています。

Bリーグを見に行った時に、体育館の中にいくつかの「お宝」が並べられているのを見たりしました。しかし、入場料をとる本格的なミュージアムとなると、野球殿堂博物館、甲子園など野球でいくつか頭に浮かぶだけです。希少です。その中の一つ、松井秀喜ベースボールミュージアムはずっと行ってみたかった所でした。

なぜなら、松井さんの活躍は高校時代から、ジャイアンツ、ヤンキースと時代を追って心に残っています。忘れられない思い出もあります。
並べられた豪華な品々、残された言葉の数々などから当時の自分を思い出したりしました。そんな時間は貴重で、入場料大人400円はずいぶんと安すぎる気がしたくらいです。

松井秀喜ベースボールミュージアム アクセス

JR 北陸本線 小松駅より 小松バス長崎行に乗り、「長崎」バス停で下車。そこから徒歩5分。ただし、9時台、13時台しかありません。

現実的には小松駅や能美根上駅からタクシーか、小松空港からタクシーが選択肢になるでしょう。帰りは、館内で頼むとタクシーを呼んでくれます。

マイカーやレンタカーで来られる方が多いようで、広い無料駐車場があります。

松井秀喜ベースボールミュージアムは、なぜ、こんな場所にあるのか?

石川県の小松空港から近く、マイカーでなければ行きにくい場所にあるのですが、一つの特徴は、松井さんの生まれた家に隣接してつくられており、その場所は、子供の頃に草野球をしていた原っぱだったところだそうです。

ミュージアムの裏手

「こんなのどかな場所から、ヤンキースタジアムへの道が続いていたのか」

としみじみと思ってしまいました。

松井秀喜ベースボールミュージアムは、高校時代まで、ジャイアンツ時代、メジャーリーグ時代で構成

展示スペースは、それほど広いわけではありません。大きく分けて、実家に住んでいた高校時代まで、ジャイアンツ時代、メジャーリーグ時代の3つ。

報道でたくさん報じられていた人ですし、多くのことを知っているつもりでしたが、ここに来て改めて「へー」と思うこともありました。子供の頃の写真は右打ちで、9歳で兄をまねて左打ちに変えたこと。石川に住んでいた頃はメジャーリーグに憧れていたわけではなく、ジャイアンツ時代にセンターにコンバートされる時に、「ジョー・ディマジオになってほしいんだ」と長嶋監督に言われ、その言葉からヤンキースを意識するようになったこと。1999年のオフシーズンにヤンキースタジアムに行って、「3年後、このチームに求められる選手になる」と思ったこと。

ジャイアンツ時代のコーナー

松井秀喜ベースボールミュージアムには、ヤンキース時代のロッカーも

飾られた品々の中では、ドラフト会議で長嶋監督が実際に引いたくじ、旧ヤンキースタジアムの自身のロッカーの本物(船で輸送したそうです)があって、重みを感じました。トロフィーや記念品が非常に多くて、その数から、「どれだけ多くのことを成し遂げてきたのか」と思ってしまいます。

ヤンキースタジアムで実際に使用していたロッカー(右)

松井秀喜ベースボールミュージアムは、残された言葉にも注目

展示は「モノ」だけでなく、その時々の本人の言葉も飾られています。挨拶文であったり、インタビューで口にした言葉であったり、どれも謙虚に自分を見つめて、周囲への感謝を表していて、その人間性を改めて知ることができます。しかも、ほとんどが英語に訳されていて、アメリカなど海外から来た人にもわかるようになっているのがいいなと思いました。メジャーリーグ時代の記事をみると、アメリカでも人格者として認められていたことがわかります。

メジャーリーグ時代の言葉

個人的な思い出としては、アメリカ時代のことになります。ヤンキースでバリバリやっていた2005年の9月にアメリカに出張する機会があり、試合を見ることができました。ヤンキースタジアムでクリーンアップに座って、目の肥えたヤンキースファンから喝さいを浴びていたこと。その年は、長年のライバル、レッドソックスと日程の最後ぎりぎりまで地区優勝を争っていて、敵地フェンウェイパークで松井さんがホームランを放つと場内が静まり返ったことを今でも覚えています。

そして、アメリカの大学院で学んでいた時が、松井さんがヤンキースを去って別のチームで苦労していた晩年と重なりました。オークランド・アスレチックスでプレーしていた2011年、松井さんが新ヤンキースタジアムを訪れての試合を見ることができました。打席に立つと、静かに温かい拍手が沸きあがっていました。

2011年 ヤンキースタジアムにアスレチックスの一員として打席に立つ松井さん

私の松井さんの現役時代の印象は、どんな相手にも分け隔てなく応じてくれる人。大勢の報道陣に毎日対応している様子がテレビニュースで流れていましたし、時にはジョークも交えて、常に穏やかに。フライデーとか東スポにも相手の求めるテーマ(敢えて書きませんが)できちんと話していて、驚かされたこともありました。

松井秀喜ベースボールミュージアムは、人間性を伝えている

そんなことを思い出し、感慨に浸りながら、館内を歩いていて、ふと、スポーツミュージアムも、単にモノを並べているのではなくて、全体として伝えたいことはあるのではないかと思いました。
このミュージアムには、現役時代に使っていた、獲得した品々、残した言葉の数々だけではなく、子供の頃の写真や作文もありました。スポーツには直接関係ありません。でも、人間性を理解するには有用でした。展示の最後にある言葉の数々がその余韻を強くします。

夢を叶える人間性とは。
それを改めて教えてくれるミュージアムでした。

スポーツの魅力を見つける旅は続きます。

-ミュージアム, 野球
-, ,